カーテンコールは終わらない

いつか動かなくなる時まで遊んでね

2020年とエーステと、ちょっとテニミュのはなし。

正直、ほんとうに正直に話してしまうと、悲しいことがたくさんたくさんあった一年だった。つらくてしんどくて、全部嫌になってしまって、でもいつだって表向きは「楽しいおたく」でいたかった。

2019年が最高に楽しくて、それを超えるくらい楽しい一年になればいいなあと思っていた2020年。

だけど、気づいたら心の底から楽しみにしていた公演がどんどん中止になっていって、心がからっぽになった。心が荒むってこういうことなんだな~~と他人事のように思った。誰が悪いわけでもなくて、どうしようもないということも分かっているし、仕方のないことだと理解はしていたけれど、だからと言ってハイそうですかとそのまま受け入れられるほど大人ではなかった。



本来2020年に行われる予定だったドリライも冬組単独公演も、わたしにとってはとんでもないビッグイベントでした。

ドリライは、もう会えないと思っていたひとにまた会えることを約束されたイベントだった。
冬単も、一年ぶりにいちばんすきなひとに会える予定だった。

だけど、全部なくなっちゃった。

情勢を鑑みて公式の発表がある前からやらないだろうなと思ってはいたし、やらないのであれば早く言ってくれとも思っていたけど、いざ公式で発表されたらやるせなくてどこにも吐き出せなくて、スマホを投げて布団を被って泣いた。「やらないだろう」と思うことで実際そうなったときの予防線を張っていただけに過ぎないけれど、何の意味も成さなかった。


ここまで書いて、こんなにマイナスな感情を出してしまってもいいのかなあなんて思っているけれど、本当にタイミングが最悪だったと思う。これが1年前だったら。もしくは1年後だったら。いや、むしろ数ヶ月ずれてただけでも、制限はあるにしろ3rdシーズン最後のドリライをやっていたかもしれないって思う度に悲しくてどうしようもなくなってしまう。いまだに3rdを振り返ってるテニモは何やねんって思ってしまう。

ただ、このマイナス感情、ヘイトは当然ながら、作品そのものや運営に向けるのはあまりにもお門違いだと思う。別にやりたくなかったから中止にしたわけじゃない。ギリギリまでちゃんと届けようとしてくれていた。それも分かっているから、尚更この感情をどうしていいのかが分からない。



ちょっとだけテニスのはなしをさせてね。


元々もう会えないつもりで、ドリライ2016の千秋楽で死ぬほど泣いた。マジで死ぬほど泣いた。今になって思えばあんなに泣いたのはちょっと恥ずかしかったな……となるけれど、まだ若かったので許してほしい。3rd聖ルドルフというチームがだいすきで、木更津淳くんがだいすきだった。

3rdシーズンになってできたわたしの推しの役は双子キャラで、物語の序盤、都大会で聖ルドルフの"木更津淳"として、少しの期間をあけて関東大会で六角の"木更津亮"として登場します。

双子だし、同じ顔だし、同じ俳優が演じてはいるけれど、わたしがすきなのは聖ルドルフ木更津淳くんでした。
これは余談ですが、実は聖ルドルフというチームは、テニミュで取り上げられる公演(試合)があるチームの中で唯一都大会止まりだったりします。ルドの前に地区大会で当たる不動峰も全国大会までいくし、不動峰・ルドルフ・山吹でいわゆる初期校という括りにされるけれど、実際ルド以外の2校は主役校である青学と当たらないだけで全国出場を果たしている。要するに、ルドは終盤のはなしにあまり絡んでこないチームだったりもします。

関東大会準決勝で青学と当たる六角は、2ndシーズンの集大成であるドリライ2014にも出演した実績があって。だから、3rdシーズンの集大成となる公演にも、亮くんでなら出る可能性はあるかな~~くらいに思っていたんです。


2020年になって、ドリライ2020の詳細が発表されたとき飛び上がった。キャスト欄に並ぶ、聖ルドルフ木更津淳という名前を何度も何度も確認した。

また会えるなんて思ってなかった。うれしくってどうしようもなかった。ズボラなわたしが、スケジュール帳にドリライ2020って予定をすぐに入れるくらいには心が躍って、はやく5月にならないかなって思っていた。


前回のドリライ2018には、淳くんのチームメイトである観月はじめが出演しました。テニミュ15周年ということもあって初期校からも1~2名ゲスト出演みたいな感じだったけれど、これも発表されたときめちゃくちゃに驚いた。
何度も言うけど、3rd聖ルドルフというチームがとにかくだいすきだったから、関東大会決勝後の時間軸ではじめが表舞台に立つのはちょっと怖くて、でもそれ以上に楽しみで仕方なくて、キンブレのオレンジの色がちゃんと出るように準備した。


あ~~~~、なんだろ、"ドリライ2018の時間軸を生きてる観月はじめ"を見てしまって、2018年、すごいなあって思った。

前を向いている。時間が、進んでいる。
あの時のはじめとは違う、今、この時のはじめがいた。


2ndシーズンの全国立海公演で初お披露目されたサービスナンバーで「頑張れ 負けるな 必ず勝て」というなかなかパンチの効いた曲があるのですが、その曲中に「試合が終わった後も人生は続いて行くよ」という歌詞があります。

わたし、この歌詞がすごくすきなんですけど、公演が終わったあとにキャストが「彼らはきっと今日もどこかで楽しく一日を過ごしていたことと思います」って言ってくれたのもあって。その存在を信じてくれたのが嬉しかったし、救いだった。

表舞台に立たなくとも、キャラクターは"その時間"を生きている。

だから、ドリライ2018のときに"その時"のはじめを見れたのは、なんというか、すごくいいものをもらったような気持ちだったんです。


ドリライ2020の時間軸を生きている淳くんに会いたかったなあ。2016や2018のときに一緒に入ったテニスのおたくたちと連番する予定だったのも、これ以上ないくらいに楽しみだった。テニスの会場で会えるおたくたちは、みんな別々のジャンルに熱が入ってしまってもふとテニスに戻ってくる瞬間があって、それが嬉しかったのに。

現場がなくなってしまったショックが大きくてグッズも買わずにいたけれど、去年の12月にフォロワーさんからパンフレットを譲っていただいたので、意を決して読んだ。悲しかった気持ちに蓋をして、この蓋はぜったいに開けないようにと思っていたから、公演がある前提で作られたパンフレットを見ちゃうと泣いてしまうような気がしてなかなか見られなかった。


大事にしてくれていたのだと、思う。

思い返せばずっとそうだったんだろうけれど、パンフレットに載っていた言葉と、卒業アルバムのようなたくさんの写真を見て、やっぱり泣いた。


テニミュというのは、これまで上演されてきた歴史の中で"卒業"というシステムが既に構築されています。だからキャストにとってもわたしたち観客にとっても、事前に"卒業"というゴールの存在が明確になっている青春の期間であって。やがて来るその日まで、わたしたちは、もしかしたらキャストも、その長いようで短い時間を大事にしたいと思っている。

ドリライ2020が中止になりゴールが見えなくなったことで、辛い思いをしたのはきっとキャストも同じだろう。
結局、11月になって3rdシーズン卒業企画として「Dream Stream」という映像配信を行いました。最後がなあなあになるのではなく、何かしらの形で残してくれたのは有り難いと思う反面、やっぱり会いたかったなあと思ってしまってまた辛かった。



冬単だって、4月~6月に元々予定されていた公演がすごく楽しみで、チケット取って飛行機もホテルも取って。ドリライと被っていたのでいかに無駄なく現場に通うかの調整は大変だったけど、だいすきなひとたちに会えるのが楽しみで仕方なかったし、会えると信じていた。

本来であれば4月~6月に3都市4会場で63公演あったはずの冬組単独公演は、8月にたった一週間、銀河劇場で11公演だけ上演されました。

8月の公演が決まってからも、キャストによる「稽古をしている」という状況報告がほとんど(というか確か全く)なかったのもすごく覚えています。なんとなくの雰囲気で稽古してるんだろうな、とは感じていたけれど、あまりにもサイレント稽古だったので初日になるまで本当にやるのかずっと不安だった。

一度は中止になってしまった公演。一週間だけでも無事に公演をやることができて、それに関してはすごく嬉しかった。恐らく冬単が終わったあとの9月に全組揃ってのライブが決まっていたのも、そのデッドラインまでに何としてでも冬単をやらなくてはならないという原動力というか、言ってしまえば枷になっていたのもあると思うのだけど。


でもやっぱり、元々予定されていた公演が中止になった事実って消えなくて。

8月の公演のときは、嬉しくて楽しみで仕方ない!ってスタンスで表向きは生きていたけど、わたしだって悲しかったしやるせなかったよ。何枚チケット払い戻ししたと思ってるの。
楽しそうで羨ましい、って言われたけれど、楽しそうに見せてるんだからそれはそうでしょう。そうでなきゃいけないんだよ。楽しいだけで生きたいけれど、この情勢の中、手放しで楽しむことはすごく難しいね。

だからわたしが「楽しそう」に見えるのであれば、それは大正解なんだよな、なんて。

でも冬単自体が楽しくて仕方ない!って思ってたのも本当です。


8月16日の冬単初日。久しぶりに銀劇に行った。
銀劇自体も久々だったけれど、そもそも舞台を観るのが5ヶ月ぶりだった。最後に観劇したのは3月22日のヒロステで、それ以降予定されていた舞台は全部なくなってしまったし、あとせっかくならこの状況が良くなってから最初に観る舞台はエーステがいいなと思っていたのもある。この界隈のおたくになってから5ヶ月も現場がないなんて初めてだった。

あの日の銀劇の空気感は、一生忘れられないと思う。いつもの銀劇のきらびやかな感じと賑わいからは想像つかないくらいちょっぴり物々しい雰囲気で、人との距離を開けるようにスタッフに誘導された。念入りに検温や消毒をして、マスクシールドを渡される。座席は一席ずつあけて配置され、隣に人が座ることはなかった。

テニミュの千秋楽でも開演前にこんな静かなことないぞ!?ってくらいに静かな会場が少し怖かったけれど、幕が上がったらそんなこと全部忘れちゃった。

久しぶりに劇場にいるという多幸感と、すきなひとたちがそこにいる。芝居をしている。役者がつけているマウスシールドも最初は気付かなくて、気付いたときはちょっとびっくりした。
客席通路を使った演出だとか客降りはもちろんできなくなってしまったけれど、できるだけわたしたち観客が舞台を観る上での負担を減らしてくれたのが有り難かったなあ。


A3!って基本的に出てくる人間がみんないいひとで、優しくて、ストレスフリーで物語を追えるのが個人的にはすごく好きなんですが、舞台という三次元のものに昇華されるときに原作以上の優しさを感じる瞬間があって、これが「演劇の演劇」であることに気付かされる。

「すべてのエンターテイメントに祈りを込めて」。

ブルスマが終わったあと、紬さんが口にしたこの言葉を合図に『The Show Must Go On!』が流れて、やっぱりこの作品が優しくて暖かくて強くてだいすきだと思った。

エンターテイメントで世界は救えないかもしれないけれど、いつだって誰かの心は救ってくれる。そういうものであって欲しいし、これからもそうであって欲しい。


一週間だけの公演だったのと世間的にはお盆の時期ということもあって、仕事も休みを取ってほぼ毎日現地に通って、チケットを持っていない公演は配信で全公演観た。毎日観れることが幸せだったし、いつ公演が中止になってもおかしくない状況の中で、ただこの公演を無事に演りきる為にキャストもスタッフもみんなが前を向いて最善を尽くしてくれていた。この冬組単独公演は絶対に見逃したくなかった。

真夏に訪れた、たった一週間の短い冬が無事に終わったことが何よりも嬉しかった。



世界が今のような状況に陥ってしまってから、どんな決断をしても苦しいし、みんながみんなハッピーで済むことなんてないんだなと知った。いや、もしかしたら、ずっと前からそうだったのかもしれない。それが嫌で嫌で仕方ないけど、嫌だ嫌だとマイナスな面ばかり出すような人間ではいたくなかった。


だからできるだけ"聞き分けのいいおたく"でいた。
そうであるように努めた。

行き場のないヘイトを決してどこにも向けないように、仕方がないと割りきって、与えられたものに対して常に喜べるおたくであるように見せようとした。


ただ、気心知れたおたくにはイヤイヤBABYSしてる姿もお見せしてしまい、申し訳なかったな……と思いつつ、みんな心のどこかでマイナスな感情は持っているんだなあ、と周りの話を聞く中で思った。周りの愉快なおたくたちも、あの時期はみんなそれぞれつらい、しんどい、と溢していたのが忘れられない。


ただ、どれだけ願っても頑張っても神様に祈っても、時間は戻らないことをわたしたちは知ってしまっている。あんなに楽しみだった2020年はこの先一生訪れないし、それを知っているからこそ、やがて来る未来のはなしに花を咲かせたい。戻りたくて仕方がないけど、戻れないからこの先の未来ですきなひとたちが舞台に立てますようにと願う。遠くない未来、以前のように"当たり前"に観劇できる日が来るようにと祈る。


テニミュは昨年末から新たに「新テニミュ」がスタートして、つい先日には4thシーズン本格始動のお知らせがありました。
エーステもこの間、2021年のプロジェクトが発表されて。冬組単独公演の再演(というかキャストも追加されてほぼ新作になりそう)にフィルコレ、初の各組単独ライブとアルバム発売。眩暈がしてしまうくらいの情報量の多さに驚いたけれど、こんなにも未来のはなしをしてくれることが、今はただただ嬉しいなあって思います。

以前の"当たり前"に戻る日はまだまだ先かもしれないけれど、何があろうと時間は待ってはくれないし、みんな前を向いている。未来に進もうとしている。いつだって後ろは向かない方がいい。


だから、わたしもこっそりと祈る。
2021年もまた「楽しいおたく」であれますように。

そして2022年を生きるわたしが、2021年は楽しかったなあって思えますように。