カーテンコールは終わらない

いつか動かなくなる時まで遊んでね

秋冬公演がはじまるまえに。

『きっと今日、オレたちは初めて満開に咲けるんだ』



忘れもしない2018年6月28日。

待ちに待った、MANKAI STAGE『A3!』 ~SPRING & SUMMER 2018~の初日。


笑いだしたいくらいわくわくしてくる。
そうよろこびをかみしめるように言葉をこぼす咲也くんの姿に、心臓がぎゅっとなって。
その瞬間、青く照らされた世界に、だいすきなひとが飛び込んできたのをずっと覚えている。


きっと多分、でもぜったい忘れられない、はじめましてだった。




春夏公演が終わってから、ちゃんとブログを書くつもりが全然まとめられなくて、気がついたら秋冬初日がついに本日という状況です。
せっかくなので、秋冬公演がはじまってしまう前に言っておきたいことは言っちゃおうと思って、新しく記事を書きはじめました。鉄は熱いうちに打たないとだめだ。

さて、秋冬公演。
春夏公演の京都公演千秋楽、2018年7月16日に発表されてからというもの、本当にあっという間に秋冬初日を迎えてしまったことにびっくりしています。思えば春夏って6月28日~11月4日っていうかなりイレギュラーな日程で組まれていて、3ヶ月くらい間が空いたりもしていたのに、凱旋始まってしまえばあっという間に終わってしまったので、秋冬も秒で終わる気がします。だって1月31日~3月24日じゃん。

思えば春夏公演、すっかり気が狂ってしまって仕事まで辞めて通いつめてしまったのですが、人生でいちばんハッピ~~な期間だったと言っても過言ではないです。さらにこの後、秋冬公演を経て春組単独公演、夏組単独公演まで決まっているという事実に怯えてしまう。ハッピーがどこまでも更新されちゃう……


周りに秋冬のオンナが多いので、秋冬公演発表されてから彼女たちとエーステのはなしをする機会がかなり多かったのですが、最もよく言われたのが「よく生きてたね」って言葉。わたしも正直よく生きてたな!?って思っている節はあるのですが、エーステ期間中のわたしのツイートを見返すと確実に気は狂っていたのだなと思わざるを得ないというか、まあ仕事辞めちゃったくらいだしな……

わたしはもう現実世界では20代半ばの人間なのでそれなりに物事の分別はつく方だと思っているのですが、なんていうんだろう、実体がない"はず"だった恋い焦がれた対象が実体として目の前に現れるっていう体験は、20代半ばの人間の健全な生活を脅かすほどの威力があるんだなと身をもって実感しました。
以前もブログで「俳優ではなくキャラクターに会いに行く」といった内容のはなしをしたんですけれど、根底が若手俳優のおたくのわたしにとって「キャラクターに会いに行く」のはとんでもなく特別なことでした。


ありがたいことにとても仲良くしていただいている月岡紬さんのおたくのお友だちが、初日のチケットを取って「世界初公開の冬組に会える」って言っていたのがすごく印象的で。

思い返せばわたしも世界初公開の夏組に会っちゃってるんだよ。すごくない?
もちろんゲネだとかはあるんだけれど、実質一般の人間がはじめて観られるのは公演初日じゃないですか。これまでもたくさんの「初日」を観てきたけれど、あの独特の空気感はいつまでたってもわくわくしちゃう。だいすきなんです。だって誰もまだ観たことない世界がはじまるんだもの。その空間にいる全員がフラットな状態で舞台を観ることができるのって、初日だけしかないから。何が起こるかわからないどきどきをみんなが共通して抱いている空間って特別だと思う。



演劇というものはすごくふしぎなもので、観客がいることではじめて成立します。
これを掘り下げたはなしは春夏公演後のまとめブログで書くつもりでいたので、ざっくりとしたはなしに留めておきたいのですが、演劇はわたしたち観客と、役であろうとする役者さんたちの相互作用が必要不可欠です。片方だけでは成り立ちません。


ここ最近、某ニコ生の番組である俳優さんが口にした言葉が忘れられなくて。

「皆さんが劇場にきてくれないと、僕たちがいくら稽古を積んでも存在することができません。是非劇場に足を運んでください」

あまりにも力強いことばだった。家事しながら流し見してたんだけど、思わず見入ってしまって。
「存在することができません」という言葉のチョイスがまさにといった感じなのですが、どれだけ一生懸命になって稽古をして作り上げた舞台でも、観客がひとりもいなかったら舞台上の彼らは生きられないんです。
A3!のプロローグ、監督がMANKAI劇場に足を運んで咲也くんの『ロミオの学園天国』というお芝居を見るシーンがありますよね。あのとき、監督と左京さんがあのお芝居をみたことで、はじめて舞台上に咲也くん演じるロミオが存在できたんです。演技は下手だし脚本はひどいし、ちゃんと舞台として成立できていたのかというと微妙なところではありますが、監督と左京さんがあのお芝居をみていなければストーリーは動かなかった。あのまま誰にみられることもなく咲也くんがロミオを演じていても、それはただの自己満足に過ぎないのでしょう。


わたしは舞台自体ももちろんだいすきなんだけれど、まず劇場という空間がすごくすきです。劇場の座席に座ってただぼーっとしていたいし、幕が開ける前の期待に高まる空気感に心を震わせたい。そして、いまを生きるひとたちの姿を、音を、熱を肌で感じたい。


まだまだ書きたかったことはいっぱいあるのだけれど、実はいま会社のお昼休みにこれを書いています。笑
もうお昼休み終わっちゃうので、とりあえずここまで。劇場であおうね。



今日もまた、終わらない夢の幕が開ける。
完璧でも、きれいじゃなくてもいいよ。どうか惜しみなく満開に咲けますように。