カーテンコールは終わらない

いつか動かなくなる時まで遊んでね

エーステにおける夏組のはなし。

前回の記事に引き続き、これもふせったーに投稿したものに加筆修正を加えたものです。
前楽の直前にぱぱっと書いて上げたものなので、結構直しちゃいました。



『オレら、トモダチだし。』


トラウマを告白した皇天馬くんの前にしゃがむ三好一成さん。その手にずっと持っていたスマホをソファーに置いて、天馬くんの手を取る。

このシーン、わたしはいまだに理解が追いつかないくらいに衝撃を受けました。
というのも、エーステ春夏凱旋公演が始まる前に書いたエトセトラにおいて「舞台でやることの意味のひとつとして挙げられるのが、ゲームの画面では汲み取れなかった部分が可視化されるということ」って言ったんですが、原作のストーリーを読んでいたときに抱いていたわたしのなかでのイメージを、可視化されたことによって遥かに超えてきたシーンのひとつがここです。

せっかくなので、A3!をやっているみなさまにはぜひ克服のSUMMER!第28話「あらためて。」を読み返していただきたいのです。

三好一成さん、音符飛ばしちゃってるでしょ。
だからこのシーンもっとラフな感じだと思うじゃん。

画面のなかから飛び出してきてくれた彼らによってうつしだされた「現実」が、こんなにもぎゅって心臓を掴まれるような、あたたかいものであることがたまらなく嬉しかったし幸せだなって思ったんです。

皇天馬くんの舞台に対するトラウマって、ゲームの画面で見ていたときに受けた印象よりも、それはそれは重いものでした。そして、エーステの初日から千秋楽の今日に至るまでにどんどんそのトラウマは重くなって彼にのしかかっています。
そのこと自体にもわりと衝撃を受けたのですが、相乗効果で他の夏組の子たちの「舞台に対するトラウマを抱えた皇天馬への接し方」がなおさらあたたかいものに感じるんですよね。これってやっぱり、彼らが目の前で生きてくれなきゃきっと一生分からなかったんだろうなあって。


座っている相手の目の前にしゃがみこんで、手を握って。

目は口ほどにものを言う、とはよく言ったものだと思います。単純な行動だけど、実はこの「相手の目の前にしゃがむ」って行為、三好一成さんは夏組全員に対してやっています。相手に目線を合わせるって、すごく安心感があるんですよね。気を許しているというか。

最初は幸ちゃんに。寮の部屋割りを決めるとき、椅子に座る幸ちゃんの前にしゃがみこんで「同室になろうよ」って懇願する。断られちゃうけど。
次は三角くん。三角くんが夏組に加入することが決まってから「夏組ってなに~?」って問うのに対して、座っている三角くんの前にしゃがんで「夏組っていうのは、オレらの組のことだよん」って教えてあげる。
対椋くんは、天馬くんの帰りをみんなが待つシーン。不安そうに俯いて座っている椋くんの前にしゃがんで、大丈夫だよって手を握る。ここのシーンはアドリブなので、たまに幸ちゃんにも同じようにしゃがんで手を握ってあげています。

そして最後に、トラウマを告白した天馬くんに。
実は凱旋公演終盤に入ってからアドリブの進化が止まらず(個人的な所感です)、初代夏組のビデオをみんなで見ているシーンからその後天馬くんが「俺たちはそうならないだろ」というシーンにかけて、三好一成さんが天馬くんの前にしゃがむようにもなりました。というか、ビデオを見てるシーンでは三好一成さんが頑なに座ろうとしない天馬くんのことを(半ば無理やり)座らせて、隣に座っていた椋くんと幸ちゃんを近くに来るように呼んで、みんなでひっつきながら楽しそうにビデオを見てるんですよね。(三角くんは監督とおはなし中なのでここのシーンでは近くにいないです)
合宿での花火のシーンでもそうなんだけど、天馬くんのことを自然と輪のなかに入れてるんです。


さらに、ほんとについ昨日、11月3日の公演でここのシーンに変化がありました。これまではソファーにスマホを"置いて"から天馬くんの前にしゃがんでいたんだけど、昨日はマチソワともスマホをソファーに"投げて"いました。ここ、本当にびっくりした。

皇天馬くんと三好一成さんって、一度お互いにお互いの地雷を踏んでしまっています。結局根本は同じ「トモダチがいない」っていうことなんだけど。

エーステのひとりひとりの独白のシーン、わたしは「身の上ばなし」って呼んでるんですけど(身の上ばなしじゃないひとも数名いるにしても)、三好一成さんの身の上ばなしで、「誰にでもへらへらして薄っぺらいオトモダチつくってる、ってやつ。数は多くても、本音で言い合えるトモダチっていないと思う」って言う彼の手に握られているスマホは、これまで必死に築き上げてきた、だけど"薄っぺらい"と言われてしまったオトモダチの象徴とも言えます。
それを天馬くんの前で、大事なもののはずなのに、まるでいらないもののように放り投げて「オレら、トモダチだし。」って手を握るの、あまりにもふたりの関係性の変化と個人の心境の変化を魅せるのが上手すぎて感服としか言いようがない。

もともと原作だと三好一成さんの身の上ばなし→天馬くんのトラウマ告白シーンの順番なんだけど、エーステでは逆で、天馬くんがトラウマを告白した直後に三好一成さんの身の上ばなしが始まります。
エーステだと監督が概念になってることも関係して、「劇団員と監督」が接することで成長するというよりも「劇団員同士」がお互いに作用しあっての成長を見せているような気がします。


それと、エーステにおける夏組って「目線の位置」が顕著に描かれているのが面白いなあって思っています。
夏組合宿での天馬くんの曲、『絆』って曲名なのがミュージックコレクション発売決定によって判明してしまったわけですが(エモ……)あれって最初は舞台の上から天馬くんがひとりで他のメンバーを見下ろすかたちになっているんですよね。それで物理的にも、心理的にも"上から"天馬くんが他の4人にずけずけ言ってのけちゃう。

だけどいい意味で素直な天馬くんは、咲也くんの「みんなの力をひとつにしなきゃ、きっとあの舞台はつくりあげられなかった」ってことばを受けて、自ら下に降りてきます。そして下に降りてきた(=みんなと同じ目線になった)天馬くんは、みんなのいいところも指摘するようになる。
あの数分で、夏組の位置関係の変化がきれいに描かれていてすごくすきなんです。実際あのシーンの前後で夏組の距離感って全然違うものになっているんですよね。


わたしはもう現実世界では20半ばに差し掛かろうとしているくらいなので、3つ年上のお友だちもいるし、逆に3つ年下のお友だちもいます。20越えたらちょっとの年齢差なんてあまり気にならないですよね。学校とかで出会うわけじゃないなら尚更。
だけど、この時点で皇天馬くんは16歳の高校2年生だし、三好一成さんは19歳の大学2年生です。
学生時代の「3歳差」ってものすごく大きくなかったですか?3歳差ってことは、中学高校の3年間被らないってことだもんね。

夏組はいい意味ですごく対等な関係だなあと思っています。みんなリーダーの天馬くんのことはもちろんリーダーとして立てるんだけど、それだけじゃなくて対等でもあり続ける。
上は19歳、下は14歳。たった5歳差だけど、10代の5歳差って本当に大きいです。この夏組のバランスが保たれているのって(まあ贔屓目がないとは言い切れないんですけど)上が下に合わせてるからなんだろうなって思います。

自分と同世代だけど年下のひとを尊敬して認めるって結構むずかしいなって思うんです。
わたしも親に羽生くんと比べられたりするとムムッてなっちゃいます。そもそもスケートやってるわけでもないのに、羽生結弦とわたしを比較してどうするって話なんですけど。そのくらい「同世代」ってだけで比べられちゃうことって多いんだよね。

三角くんはいい意味で年上らしくはないし、三好一成さんは人に合わせることができるひとなので、上ふたりが自然と下の3人に合わせてバランスが取れているのかな~って感じます。


単純にすっごく気になっているんだけれど、赤澤燈さん、どこまで原作のストーリーを読みこんで役づくりしているんだろう。

三好一成さんって、ふたばちゃんという妹がいるんですけど、ふたばちゃんって皇天馬くんのファンなんですよね。もちろんそれだけじゃなくて、例えばお父さんが広告代理店勤務だったり、多分三好一成さん本人もそれなりにテレビはチェックしているひとだと思うので当然のことかもしれないんだけれど、夏組オーディションにやってきた皇天馬くんが「皇天馬」そのひとだと気づくのが他のメンバーよりも早いです。ほんとうにちょっとの差なんだけど、「皇天馬」に誰よりも早く気付く。

以前、「キャラクター」は「人間」だっていうはなしをしたんですけれど、それにしたってあの三好一成さんはあまりにも「人生」がつくりこまれすぎていてびっくりしちゃう……ひとつひとつの仕草がすごく「人間」だなって感じる。

オーディションのときに天馬くんと幸ちゃんが言い合いはじめるとき、椋くんは止めに入るけれど三好一成さんは顔を引きつらせてその場でスマホを弄り始めるし、稽古のときに言い争いが始まったときだって仲裁に入ろうとしているように見せかけてなんだかんだ幸ちゃんの肩を持とうとする。正直、経験者ひとり、ほか全員素人であるあのシーンにおいて、威圧感たっぷりで怒る天馬くんと、椋くんを庇おうとする幸ちゃんだったら幸ちゃんの肩を持とうとするのは普通のことだと思います。
部屋割りを決めるときだって、興味を持ってもいい対象であるはずの天馬くんにはまったく触れないんです。

多分、最初の方は意図的に天馬くんのことを避けてたんだろうなっていうのはゲームでストーリーを読んでたときから感じていました。原作では三好一成さんの身の上ばなしのシーンで「テンテン鋭いからさ、バレちゃってるんだよ」って言葉もあります。そりゃこわいよね、っていう。

「関係性」が生み出すキャラクターの「人生」の厚みだとか、そもそもいわゆる「中の人」が良いように作用して生まれるものっていうのについても書きたいんだけど、もう前楽始まっちゃうからまた今度書きます。気が向いたら。


今日が千秋楽。今日あったら次はいつあえるかなんてまだわからないし、もしかしたらもうあえないかもしれない。

むずかしいなあ。

泣いても笑っても今日は今日しかないので、いきてる彼らにあいにいこう。
今日もまたみんなが満開に咲けますように!いってきます!