カーテンコールは終わらない

いつか動かなくなる時まで遊んでね

2020年とエーステと、ちょっとテニミュのはなし。

正直、ほんとうに正直に話してしまうと、悲しいことがたくさんたくさんあった一年だった。つらくてしんどくて、全部嫌になってしまって、でもいつだって表向きは「楽しいおたく」でいたかった。

2019年が最高に楽しくて、それを超えるくらい楽しい一年になればいいなあと思っていた2020年。

だけど、気づいたら心の底から楽しみにしていた公演がどんどん中止になっていって、心がからっぽになった。心が荒むってこういうことなんだな~~と他人事のように思った。誰が悪いわけでもなくて、どうしようもないということも分かっているし、仕方のないことだと理解はしていたけれど、だからと言ってハイそうですかとそのまま受け入れられるほど大人ではなかった。



本来2020年に行われる予定だったドリライも冬組単独公演も、わたしにとってはとんでもないビッグイベントでした。

ドリライは、もう会えないと思っていたひとにまた会えることを約束されたイベントだった。
冬単も、一年ぶりにいちばんすきなひとに会える予定だった。

だけど、全部なくなっちゃった。

情勢を鑑みて公式の発表がある前からやらないだろうなと思ってはいたし、やらないのであれば早く言ってくれとも思っていたけど、いざ公式で発表されたらやるせなくてどこにも吐き出せなくて、スマホを投げて布団を被って泣いた。「やらないだろう」と思うことで実際そうなったときの予防線を張っていただけに過ぎないけれど、何の意味も成さなかった。


ここまで書いて、こんなにマイナスな感情を出してしまってもいいのかなあなんて思っているけれど、本当にタイミングが最悪だったと思う。これが1年前だったら。もしくは1年後だったら。いや、むしろ数ヶ月ずれてただけでも、制限はあるにしろ3rdシーズン最後のドリライをやっていたかもしれないって思う度に悲しくてどうしようもなくなってしまう。いまだに3rdを振り返ってるテニモは何やねんって思ってしまう。

ただ、このマイナス感情、ヘイトは当然ながら、作品そのものや運営に向けるのはあまりにもお門違いだと思う。別にやりたくなかったから中止にしたわけじゃない。ギリギリまでちゃんと届けようとしてくれていた。それも分かっているから、尚更この感情をどうしていいのかが分からない。



ちょっとだけテニスのはなしをさせてね。


元々もう会えないつもりで、ドリライ2016の千秋楽で死ぬほど泣いた。マジで死ぬほど泣いた。今になって思えばあんなに泣いたのはちょっと恥ずかしかったな……となるけれど、まだ若かったので許してほしい。3rd聖ルドルフというチームがだいすきで、木更津淳くんがだいすきだった。

3rdシーズンになってできたわたしの推しの役は双子キャラで、物語の序盤、都大会で聖ルドルフの"木更津淳"として、少しの期間をあけて関東大会で六角の"木更津亮"として登場します。

双子だし、同じ顔だし、同じ俳優が演じてはいるけれど、わたしがすきなのは聖ルドルフ木更津淳くんでした。
これは余談ですが、実は聖ルドルフというチームは、テニミュで取り上げられる公演(試合)があるチームの中で唯一都大会止まりだったりします。ルドの前に地区大会で当たる不動峰も全国大会までいくし、不動峰・ルドルフ・山吹でいわゆる初期校という括りにされるけれど、実際ルド以外の2校は主役校である青学と当たらないだけで全国出場を果たしている。要するに、ルドは終盤のはなしにあまり絡んでこないチームだったりもします。

関東大会準決勝で青学と当たる六角は、2ndシーズンの集大成であるドリライ2014にも出演した実績があって。だから、3rdシーズンの集大成となる公演にも、亮くんでなら出る可能性はあるかな~~くらいに思っていたんです。


2020年になって、ドリライ2020の詳細が発表されたとき飛び上がった。キャスト欄に並ぶ、聖ルドルフ木更津淳という名前を何度も何度も確認した。

また会えるなんて思ってなかった。うれしくってどうしようもなかった。ズボラなわたしが、スケジュール帳にドリライ2020って予定をすぐに入れるくらいには心が躍って、はやく5月にならないかなって思っていた。


前回のドリライ2018には、淳くんのチームメイトである観月はじめが出演しました。テニミュ15周年ということもあって初期校からも1~2名ゲスト出演みたいな感じだったけれど、これも発表されたときめちゃくちゃに驚いた。
何度も言うけど、3rd聖ルドルフというチームがとにかくだいすきだったから、関東大会決勝後の時間軸ではじめが表舞台に立つのはちょっと怖くて、でもそれ以上に楽しみで仕方なくて、キンブレのオレンジの色がちゃんと出るように準備した。


あ~~~~、なんだろ、"ドリライ2018の時間軸を生きてる観月はじめ"を見てしまって、2018年、すごいなあって思った。

前を向いている。時間が、進んでいる。
あの時のはじめとは違う、今、この時のはじめがいた。


2ndシーズンの全国立海公演で初お披露目されたサービスナンバーで「頑張れ 負けるな 必ず勝て」というなかなかパンチの効いた曲があるのですが、その曲中に「試合が終わった後も人生は続いて行くよ」という歌詞があります。

わたし、この歌詞がすごくすきなんですけど、公演が終わったあとにキャストが「彼らはきっと今日もどこかで楽しく一日を過ごしていたことと思います」って言ってくれたのもあって。その存在を信じてくれたのが嬉しかったし、救いだった。

表舞台に立たなくとも、キャラクターは"その時間"を生きている。

だから、ドリライ2018のときに"その時"のはじめを見れたのは、なんというか、すごくいいものをもらったような気持ちだったんです。


ドリライ2020の時間軸を生きている淳くんに会いたかったなあ。2016や2018のときに一緒に入ったテニスのおたくたちと連番する予定だったのも、これ以上ないくらいに楽しみだった。テニスの会場で会えるおたくたちは、みんな別々のジャンルに熱が入ってしまってもふとテニスに戻ってくる瞬間があって、それが嬉しかったのに。

現場がなくなってしまったショックが大きくてグッズも買わずにいたけれど、去年の12月にフォロワーさんからパンフレットを譲っていただいたので、意を決して読んだ。悲しかった気持ちに蓋をして、この蓋はぜったいに開けないようにと思っていたから、公演がある前提で作られたパンフレットを見ちゃうと泣いてしまうような気がしてなかなか見られなかった。


大事にしてくれていたのだと、思う。

思い返せばずっとそうだったんだろうけれど、パンフレットに載っていた言葉と、卒業アルバムのようなたくさんの写真を見て、やっぱり泣いた。


テニミュというのは、これまで上演されてきた歴史の中で"卒業"というシステムが既に構築されています。だからキャストにとってもわたしたち観客にとっても、事前に"卒業"というゴールの存在が明確になっている青春の期間であって。やがて来るその日まで、わたしたちは、もしかしたらキャストも、その長いようで短い時間を大事にしたいと思っている。

ドリライ2020が中止になりゴールが見えなくなったことで、辛い思いをしたのはきっとキャストも同じだろう。
結局、11月になって3rdシーズン卒業企画として「Dream Stream」という映像配信を行いました。最後がなあなあになるのではなく、何かしらの形で残してくれたのは有り難いと思う反面、やっぱり会いたかったなあと思ってしまってまた辛かった。



冬単だって、4月~6月に元々予定されていた公演がすごく楽しみで、チケット取って飛行機もホテルも取って。ドリライと被っていたのでいかに無駄なく現場に通うかの調整は大変だったけど、だいすきなひとたちに会えるのが楽しみで仕方なかったし、会えると信じていた。

本来であれば4月~6月に3都市4会場で63公演あったはずの冬組単独公演は、8月にたった一週間、銀河劇場で11公演だけ上演されました。

8月の公演が決まってからも、キャストによる「稽古をしている」という状況報告がほとんど(というか確か全く)なかったのもすごく覚えています。なんとなくの雰囲気で稽古してるんだろうな、とは感じていたけれど、あまりにもサイレント稽古だったので初日になるまで本当にやるのかずっと不安だった。

一度は中止になってしまった公演。一週間だけでも無事に公演をやることができて、それに関してはすごく嬉しかった。恐らく冬単が終わったあとの9月に全組揃ってのライブが決まっていたのも、そのデッドラインまでに何としてでも冬単をやらなくてはならないという原動力というか、言ってしまえば枷になっていたのもあると思うのだけど。


でもやっぱり、元々予定されていた公演が中止になった事実って消えなくて。

8月の公演のときは、嬉しくて楽しみで仕方ない!ってスタンスで表向きは生きていたけど、わたしだって悲しかったしやるせなかったよ。何枚チケット払い戻ししたと思ってるの。
楽しそうで羨ましい、って言われたけれど、楽しそうに見せてるんだからそれはそうでしょう。そうでなきゃいけないんだよ。楽しいだけで生きたいけれど、この情勢の中、手放しで楽しむことはすごく難しいね。

だからわたしが「楽しそう」に見えるのであれば、それは大正解なんだよな、なんて。

でも冬単自体が楽しくて仕方ない!って思ってたのも本当です。


8月16日の冬単初日。久しぶりに銀劇に行った。
銀劇自体も久々だったけれど、そもそも舞台を観るのが5ヶ月ぶりだった。最後に観劇したのは3月22日のヒロステで、それ以降予定されていた舞台は全部なくなってしまったし、あとせっかくならこの状況が良くなってから最初に観る舞台はエーステがいいなと思っていたのもある。この界隈のおたくになってから5ヶ月も現場がないなんて初めてだった。

あの日の銀劇の空気感は、一生忘れられないと思う。いつもの銀劇のきらびやかな感じと賑わいからは想像つかないくらいちょっぴり物々しい雰囲気で、人との距離を開けるようにスタッフに誘導された。念入りに検温や消毒をして、マスクシールドを渡される。座席は一席ずつあけて配置され、隣に人が座ることはなかった。

テニミュの千秋楽でも開演前にこんな静かなことないぞ!?ってくらいに静かな会場が少し怖かったけれど、幕が上がったらそんなこと全部忘れちゃった。

久しぶりに劇場にいるという多幸感と、すきなひとたちがそこにいる。芝居をしている。役者がつけているマウスシールドも最初は気付かなくて、気付いたときはちょっとびっくりした。
客席通路を使った演出だとか客降りはもちろんできなくなってしまったけれど、できるだけわたしたち観客が舞台を観る上での負担を減らしてくれたのが有り難かったなあ。


A3!って基本的に出てくる人間がみんないいひとで、優しくて、ストレスフリーで物語を追えるのが個人的にはすごく好きなんですが、舞台という三次元のものに昇華されるときに原作以上の優しさを感じる瞬間があって、これが「演劇の演劇」であることに気付かされる。

「すべてのエンターテイメントに祈りを込めて」。

ブルスマが終わったあと、紬さんが口にしたこの言葉を合図に『The Show Must Go On!』が流れて、やっぱりこの作品が優しくて暖かくて強くてだいすきだと思った。

エンターテイメントで世界は救えないかもしれないけれど、いつだって誰かの心は救ってくれる。そういうものであって欲しいし、これからもそうであって欲しい。


一週間だけの公演だったのと世間的にはお盆の時期ということもあって、仕事も休みを取ってほぼ毎日現地に通って、チケットを持っていない公演は配信で全公演観た。毎日観れることが幸せだったし、いつ公演が中止になってもおかしくない状況の中で、ただこの公演を無事に演りきる為にキャストもスタッフもみんなが前を向いて最善を尽くしてくれていた。この冬組単独公演は絶対に見逃したくなかった。

真夏に訪れた、たった一週間の短い冬が無事に終わったことが何よりも嬉しかった。



世界が今のような状況に陥ってしまってから、どんな決断をしても苦しいし、みんながみんなハッピーで済むことなんてないんだなと知った。いや、もしかしたら、ずっと前からそうだったのかもしれない。それが嫌で嫌で仕方ないけど、嫌だ嫌だとマイナスな面ばかり出すような人間ではいたくなかった。


だからできるだけ"聞き分けのいいおたく"でいた。
そうであるように努めた。

行き場のないヘイトを決してどこにも向けないように、仕方がないと割りきって、与えられたものに対して常に喜べるおたくであるように見せようとした。


ただ、気心知れたおたくにはイヤイヤBABYSしてる姿もお見せしてしまい、申し訳なかったな……と思いつつ、みんな心のどこかでマイナスな感情は持っているんだなあ、と周りの話を聞く中で思った。周りの愉快なおたくたちも、あの時期はみんなそれぞれつらい、しんどい、と溢していたのが忘れられない。


ただ、どれだけ願っても頑張っても神様に祈っても、時間は戻らないことをわたしたちは知ってしまっている。あんなに楽しみだった2020年はこの先一生訪れないし、それを知っているからこそ、やがて来る未来のはなしに花を咲かせたい。戻りたくて仕方がないけど、戻れないからこの先の未来ですきなひとたちが舞台に立てますようにと願う。遠くない未来、以前のように"当たり前"に観劇できる日が来るようにと祈る。


テニミュは昨年末から新たに「新テニミュ」がスタートして、つい先日には4thシーズン本格始動のお知らせがありました。
エーステもこの間、2021年のプロジェクトが発表されて。冬組単独公演の再演(というかキャストも追加されてほぼ新作になりそう)にフィルコレ、初の各組単独ライブとアルバム発売。眩暈がしてしまうくらいの情報量の多さに驚いたけれど、こんなにも未来のはなしをしてくれることが、今はただただ嬉しいなあって思います。

以前の"当たり前"に戻る日はまだまだ先かもしれないけれど、何があろうと時間は待ってはくれないし、みんな前を向いている。未来に進もうとしている。いつだって後ろは向かない方がいい。


だから、わたしもこっそりと祈る。
2021年もまた「楽しいおたく」であれますように。

そして2022年を生きるわたしが、2021年は楽しかったなあって思えますように。

秋冬公演がはじまるまえに。

『きっと今日、オレたちは初めて満開に咲けるんだ』



忘れもしない2018年6月28日。

待ちに待った、MANKAI STAGE『A3!』 ~SPRING & SUMMER 2018~の初日。


笑いだしたいくらいわくわくしてくる。
そうよろこびをかみしめるように言葉をこぼす咲也くんの姿に、心臓がぎゅっとなって。
その瞬間、青く照らされた世界に、だいすきなひとが飛び込んできたのをずっと覚えている。


きっと多分、でもぜったい忘れられない、はじめましてだった。




春夏公演が終わってから、ちゃんとブログを書くつもりが全然まとめられなくて、気がついたら秋冬初日がついに本日という状況です。
せっかくなので、秋冬公演がはじまってしまう前に言っておきたいことは言っちゃおうと思って、新しく記事を書きはじめました。鉄は熱いうちに打たないとだめだ。

さて、秋冬公演。
春夏公演の京都公演千秋楽、2018年7月16日に発表されてからというもの、本当にあっという間に秋冬初日を迎えてしまったことにびっくりしています。思えば春夏って6月28日~11月4日っていうかなりイレギュラーな日程で組まれていて、3ヶ月くらい間が空いたりもしていたのに、凱旋始まってしまえばあっという間に終わってしまったので、秋冬も秒で終わる気がします。だって1月31日~3月24日じゃん。

思えば春夏公演、すっかり気が狂ってしまって仕事まで辞めて通いつめてしまったのですが、人生でいちばんハッピ~~な期間だったと言っても過言ではないです。さらにこの後、秋冬公演を経て春組単独公演、夏組単独公演まで決まっているという事実に怯えてしまう。ハッピーがどこまでも更新されちゃう……


周りに秋冬のオンナが多いので、秋冬公演発表されてから彼女たちとエーステのはなしをする機会がかなり多かったのですが、最もよく言われたのが「よく生きてたね」って言葉。わたしも正直よく生きてたな!?って思っている節はあるのですが、エーステ期間中のわたしのツイートを見返すと確実に気は狂っていたのだなと思わざるを得ないというか、まあ仕事辞めちゃったくらいだしな……

わたしはもう現実世界では20代半ばの人間なのでそれなりに物事の分別はつく方だと思っているのですが、なんていうんだろう、実体がない"はず"だった恋い焦がれた対象が実体として目の前に現れるっていう体験は、20代半ばの人間の健全な生活を脅かすほどの威力があるんだなと身をもって実感しました。
以前もブログで「俳優ではなくキャラクターに会いに行く」といった内容のはなしをしたんですけれど、根底が若手俳優のおたくのわたしにとって「キャラクターに会いに行く」のはとんでもなく特別なことでした。


ありがたいことにとても仲良くしていただいている月岡紬さんのおたくのお友だちが、初日のチケットを取って「世界初公開の冬組に会える」って言っていたのがすごく印象的で。

思い返せばわたしも世界初公開の夏組に会っちゃってるんだよ。すごくない?
もちろんゲネだとかはあるんだけれど、実質一般の人間がはじめて観られるのは公演初日じゃないですか。これまでもたくさんの「初日」を観てきたけれど、あの独特の空気感はいつまでたってもわくわくしちゃう。だいすきなんです。だって誰もまだ観たことない世界がはじまるんだもの。その空間にいる全員がフラットな状態で舞台を観ることができるのって、初日だけしかないから。何が起こるかわからないどきどきをみんなが共通して抱いている空間って特別だと思う。



演劇というものはすごくふしぎなもので、観客がいることではじめて成立します。
これを掘り下げたはなしは春夏公演後のまとめブログで書くつもりでいたので、ざっくりとしたはなしに留めておきたいのですが、演劇はわたしたち観客と、役であろうとする役者さんたちの相互作用が必要不可欠です。片方だけでは成り立ちません。


ここ最近、某ニコ生の番組である俳優さんが口にした言葉が忘れられなくて。

「皆さんが劇場にきてくれないと、僕たちがいくら稽古を積んでも存在することができません。是非劇場に足を運んでください」

あまりにも力強いことばだった。家事しながら流し見してたんだけど、思わず見入ってしまって。
「存在することができません」という言葉のチョイスがまさにといった感じなのですが、どれだけ一生懸命になって稽古をして作り上げた舞台でも、観客がひとりもいなかったら舞台上の彼らは生きられないんです。
A3!のプロローグ、監督がMANKAI劇場に足を運んで咲也くんの『ロミオの学園天国』というお芝居を見るシーンがありますよね。あのとき、監督と左京さんがあのお芝居をみたことで、はじめて舞台上に咲也くん演じるロミオが存在できたんです。演技は下手だし脚本はひどいし、ちゃんと舞台として成立できていたのかというと微妙なところではありますが、監督と左京さんがあのお芝居をみていなければストーリーは動かなかった。あのまま誰にみられることもなく咲也くんがロミオを演じていても、それはただの自己満足に過ぎないのでしょう。


わたしは舞台自体ももちろんだいすきなんだけれど、まず劇場という空間がすごくすきです。劇場の座席に座ってただぼーっとしていたいし、幕が開ける前の期待に高まる空気感に心を震わせたい。そして、いまを生きるひとたちの姿を、音を、熱を肌で感じたい。


まだまだ書きたかったことはいっぱいあるのだけれど、実はいま会社のお昼休みにこれを書いています。笑
もうお昼休み終わっちゃうので、とりあえずここまで。劇場であおうね。



今日もまた、終わらない夢の幕が開ける。
完璧でも、きれいじゃなくてもいいよ。どうか惜しみなく満開に咲けますように。

サイドシートと客降りのはなし。

気づいたらエーステ秋冬公演初日まであと1ヶ月ですね。びっくりするくらいチケットが取れなくないですか?推し出ないんですけどね。

さて、タイトルにもありますがこれからサイドシートについてのはなしをします。わたしがしたいだけなのでこれといって中身はありません。というか、わたしによるわたしのための覚え書きみたいな感じです。


秋冬公演もメルマガ二次先行から「全席指定」ではなく「サイドシート」という座種を選択できるようになったわけですが、A3!(原作)のおたくのお友だちから「サイドシートってぶっちゃけどうなの?」と質問をいただきました。
そもそもサイドシートって何なんだ?ってはなしなんですが、大体は「舞台の一部が見えづらいお席」と説明されています。劇場はそれぞれで形状が異なるので、どこがサイドシートっていう明確な決まりはありませんし、同じ劇場でも主催が違えばサイドシートの場所も変わります。チケットを売る側がサイドだと思ったらサイドです。

なので「サイドシートってぶっちゃけどうなの?」って質問に答えるのって結構難しいんですよね。
というわけなので、これからわたしがこれまでに座ったサイドシートのはなしをいくつかします。というか、銀河劇場のサイドシートのはなしがしたいので聞いてください。

天王洲 銀河劇場

言わずと知れた、エーステ春夏公演が行われた会場です。秋冬公演は3/15(金)~3/24(日)の東京凱旋公演がここで行われます。
話は逸れますが、一時期「天王洲 YOANI劇場」とかいうかなりやばい名称に変更されそうなことがありましたね。代アニに親を殺されたわけではないけれど勘弁してくれ。銀河劇場に通わせてくれ。

座席表がこちら

キャパは約800弱。客席は1~3階で746席、座席表には書いてありませんが立ち見席(2階・3階)が確か最大26だったと思います。
座席表を見ていただければお分かりかと思いますが、銀劇の座席の大半は1階席です。1階はA~D列はフラット、E列以降はなだらかな傾斜があります。わたしは座高が半端なく高いので(いつも後ろのひとに申し訳なく思ってるけれど座高は削ることができない……)別にC列でもD列でもいいんですけど、まあ多少なりとも段差があるE列やF列の方が見やすいことは見やすいです。とは言え1階席(指定席)ですとわりとどこでも見やすいと個人的には思います。

舞台そのものを楽しむという視点からだと2階席でも見やすいし、前のひとの頭が邪魔!ってことがないのでストレスフリーで観劇できます。前のひとの頭が邪魔!ってほんとにつらいんですよね。座高が半端なく高いわたしが言えることではないとは思うんですけれど、それでも男性とか、大きな方が前に座ると見えにくくなっちゃうので。前のひとの頭が邪魔!問題は、前の席に座高が高くないひとが座ることをひたすら願うか、それこそ2階とかに座っちゃうか、あとは最前に座るしかないです。最前は最高。視界を遮るものが何もない。

結構多くの方が経験しているのかもしれませんが、舞台を観に来てるのに「見えない」っていうのはほんとにほっっっんとにストレスなんですよ。


さっき1階席(指定席)とか書いちゃったので1階席(サイド)のはなしもします。
さて、わたしはエーステに通う前も銀劇にはそこそこ高頻度で行っていたのですが、「サイドシート」と謳われる座席には座ったことがありませんでした。
過去の経験からしてサイドシートというものがピンキリなのは分かっていたので、春夏公演の先行の際にとりあえず「銀劇のサイドシート」がどうなのか調べてみたんですよ。そしたらすごく不思議なことに、「サイドシートだけど全然見切れなかった!」っていうはなしと「サイドシートだから仕方ないけど、ほとんど見えなくて残念だった」ってはなしが出てきたんです。不思議だよね。どっちも銀劇のはなしだよね?っていう。

まあさっきも言ったんですが、ほんとにピンキリなんですよサイドシートって。


春夏公演のときは最速先行でほぼチケットを集めきってしまっていたので、そもそもサイドシートが選べるようになった段階でチケット取らなきゃ!とはなっていなかったんですけれど、あとちょっと欲しいな~~ってところがあったのでサイドシートで入れてみました。
自分で取った唯一のサイドシートは1階D列3,4番でした。座席表を見ていただければ分かると思うのですが、そこそこサイドです。でも最端というわけでもなく。

結論からいうと、銀劇の1階前方サイドはほとんど見切れたりしませんでした。もちろんわたしも全部のサイドシートに座ったわけではないので、100%見切れません!とは言えないのですが……(そもそもサイドシート自体が「舞台の一部が見えづらいお席」なので、完全に見える!問題ない!っていうのはおかしなはなしというわけです)
理由は後述しますが、1階の最上手の座席(サイドシート)に座ったりもしたのですが特に支障はなかったです。ただし首は若干痛いけれど、TDCのサイドに比べたら全然マシ。(TDCについても後述します)おそらく銀劇の1階サイドは舞台を観る上ではほとんど支障ないんじゃないですかね。もし1階のこの座席、やばいほどサイドシート!見えん!ってことがありましたら教えてください。


当たり前なんですけど、主催側がサイドだと判断したらサイドシートになるので、1階の前の方の席とかも結構割り振られていたりします。前になればなるほど端っこの方って見切れるので。サイドでも舞台近い方がいいな!ってひとはサイドシートも狙い目ですよね、実際近いですし。わたしも3階で観るくらいならぜったい1階のサイドがいい。某ミュとかも一般先着でサイドシート買うと最前出ますもん。この場合は先行でサイドを出してないからなんですけどね。


ちょっと話は逸れるのですが、エーステ春夏公演では最後に客降りがありました。
テニミュだと(最近あまり行ってないのでここ最近のは把握できていないのですが)客降りが何パターンかあって、順番に回していく感じなので推しがどこに降りるのかって最初は読みにくいんです。例えばA・B・Cの3パターン回しだとすると、A→B→C→Aってきて4公演目でようやく3パターンなのかな?って気付き、そのあとの5公演目でBパターンならほぼ確定!みたいな感じでサイドチェンジを探したりするんですが、たまに変な回し方したり5パターンくらいで回すこともあったので血眼になって推しの降りるルートを探ってたことがあります。必死か。そもそも客降り位置を把握するためには毎公演入らないといけないんですよね。だから必死か。

ちなみにサイドチェンジというのは自分が持ってるチケットと別のサイド(に限らず、別の位置)の座席の交換を探すことです。
なんで場所交換するの?ってたまに聞かれたりもするのですが、大体はそういうことです。客降りがなくても例えば推しの立ち位置に座りたいだとか、同じような座席位置ばかりだから変えたいだとかいろいろあります。

ところがびっくりしたことに、エーステの客降りはほぼ固定だったんですよね!ほぼというか固定だった。
初日を1階前方下手で観ていたのですが、SR開花の予感衣裳で出てきたMANKAIカンパニーのみんなに思わず悲鳴をあげてしまうなか、三好一成さんの客降りルートを冷静に目で追っていました。必死なおたくなのでゆるして……


突如として目の前に現れた三角くんに△をもらってええ〜〜!?となったり、なんやかんやありつつ三好一成さんの客降りルートを把握。上手しか通らなくない?


翌日。

客降りが固定だということを把握したわたしのツイート。
余談ですが、「下手の神」などと言う二つ名を付けられてしまうくらい下手側の座席を引いてしまいがちなわたしは、エーステに関しても例に漏れず下手寄りの座席が多かったです。こりゃいかん!と思い立ったわたしは翌日以降の下手側のチケットを上手側に交換していただきました。


が、しかし。
「上手側」は「上手側」なんだけど、銀劇の1階って通路4つあるんですよね。最下手、下手、上手、最上手って分けてわたしは呼んでいるのですが、この中で三好一成さんがいちばんゆっくり通るところって「最上手」の通路だったんです。上手から降りて、そのまま最上手通路をゆっくり通って、上手通路を経てステージへ、ってかたち。
人間、欲が出るとだめですね。上手通路でも通るし良いっちゃ良いんだけど、最上手通路の滞在時間が長すぎてどうしても最上手に入りたくなってしまう……これがさっき言った「1階の最上手の座席(サイドシート)に座ったりもした」理由です。

そう、1階の最上手ってサイドシートなんですよ。しかも通路席、いわゆる一番端の座席って先行であまり出さず、どうやら当日券や当日引換券で出していたようで、なかなか交換が見つからなくて血眼になりながら交換を探していました。最終手段は「当日券で賭けに出る」だったのですが、まあ案の定最下手の通路席にご案内されました。下手の神安定すぎない?


京都劇場

上のツイートがエーステ京都公演でのはなしです。
京都劇場の座席表はこちら

941席もある!すごい!京都公演といえば京都劇場
2階席は座ったことがないので分かりかねますが、京都劇場も銀劇同様1階のサイドでもあまり見切れない印象です。上記ツイートの1階最下手(中央通路より前方)も全席指定でした。エーステとは別の公演でC列の3番とかに座ったけど、その時も確か指定席だった。エーステでは最前の端はサイドシート(当引)で出してたけど、全体的に良く見える劇場だと思っています。1階前方は結構フラットめなんだけど、全然見にくくはなかったな~~っていう印象です。

ただ1階席は縦に長いので、中央通路より後ろの方だと遠く感じてしまうんじゃないでしょうか。それなら2階の方が見やすいのかな。今度行く機会があったら2階席チェックしてきます。


客降りのはなしに戻る前に、ざっくり他の劇場のサイドシートのはなしをしちゃいます。

TOKYO DOME CITY HALL

さっき少し話に出したTDCホール。
わたしはテニミュ育ちの人間なので、TDCはめちゃくちゃ通いました。水道橋は家。

座席表はこちら

TDCはアリーナ、第1バルコニー、第2バルコニー、第3バルコニーに分かれておりまして、バルコニーはそれぞれ約440~480席で計1,400席くらい。アリーナは可動式なので公演によって変わりますが、多分700~800席くらいになるかと。2バルと3バルには立ち見席もあります。


奥行きのあるステージなので、端から見ると結構見切れます。最近はいろいろな2.5の公演でもTDCを使ってやっているみたいですね。わたしはほとんどテニミュでしか行ったことがないので他の公演がどうなのかは分からないのですが、テニミュではサイドシートとは別に「見切れ席」なる座席も販売しています。

1バルを例にすると、1~10番、111~120番あたりの座席は見切れ席になります。見切れ席っていうのは、サイドよりもサイド、いわゆる「ステージをほぼ真横から見る座席」です。
ぶっちゃけ見切れ席はほんとに見切れるので(当たり前ですが)映像はほぼ見えないし、ステージの奥の方にいる人は見えないです。

なので初見が見切れなのはいただけないな~~!と思いますが、見切れ席には見切れ席なりの良い点もあって、舞台袖が見えるんですね。
だから舞台に出る前に仲間同士でグータッチをしていたりだとか、出番じゃない子たちが舞台上でやっているダンスの振付を踊っていたりだとか、そういう「普段見られない部分」が見られることもあるのでまた違った視点で楽しむことができます。わたしも見切れ席は何度か入ったことがありますが、すぐそこが舞台裏なのでたまに裏でお話している声が聞こえたりもするんですよね。何回か同じ舞台を観るよ~~って時には違う視点から観てみるのも楽しいかもしれません。


さて、サイドシートですが、バルコニー席のサイドはまあそこそこ見えるかな……?といった印象です。1バルだと11~28番、91~110番あたりがサイドシート表記になっていたかと思うのですが、テニミュって毎回「えっ?ここサイドなの?」「なのにここは全席指定!?」ってことがあるので、わたしもいまいち把握しきれていません。時間があれば過去チケ整理して確認してみたいと思います。
なので、サイドでもセンターに近ければ近いほど見やすいしあんまりサイドって感じはしないのですが、端寄りのサイドだと前述の通り奥行きのある舞台なので、手前側の奥(下手側の座席なら下手側の奥)が見切れます。これが「サイドシートはピンキリ」ってこと。

ちなみにアリーナのサイドは基本的に首が死にます。

アリーナの座席表については調べていただければそれなりに出てくると思うのですが、テニミュの場合大体は1~20番が下手ブロック、通路を挟んで21~40番がセンター、通路を挟んで41~60番が上手ブロックというつくりになります。
何番からサイドになるかというと、列によって違います。最前は確か~13番、48番~がサイドシート表記だったような。今は違うかもしれないので大体そのくらいってことで考えていただければと思います。
ステージの奥行きがあるのに加えて、ステージの幅に対してアリーナ席の幅が広いんですよ。なのでアリーナのサイドは首が死ぬ。サイド表記じゃないはずの3列44番とかに座ったときも首が死ぬかと思ったので気を付けてください。あと別の舞台でアリーナ最前のいっちばん端っこの席に座ったことがあるけど、そのあと数日間首が痛かったです。ステージの見え方としては、手前側(下手側の座席なら舞台下手)は見切れるけれど近いことは近いので表情とかは良く見えるんですよね。すでに何回か観ていた舞台だったからというのもありますがそれなりに満足でした。首は痛かったけれど!!!

あとこれは公演によって変わってきますが、アリーナは段差が1列ごとについているわけではないので段差列じゃないとかなり見えにくいです。見えにくいだけならまだ良いんだけど、はっきり言って全然見えないこともあるので絶対段差列に座りたいところ。
テニミュの場合は、以前は3の倍数列(3,6,9,12列)が段差だったんですけれど、いつからだったか奇数列(3,5,7,9,11,13列)が段差になりました。ただ、特に前もってお知らせがあるわけでも座席表が出てるわけでもないので、このとき6列とか12列を持ってたひとたちが段差じゃない…!?ってなってた記憶があります。TDCのアリーナって段差列か段差列じゃないかってめちゃくちゃ大きな違いなんですよね……2列目だとステージを見上げる形になるのでそんなに気にならないんですが、やっぱり段差列じゃない4列目に座るなら5列か7列の方が絶対にいいな~~と個人的には思います。できることならアリーナ全部段差つけてほしいですよね。

家の説明でものすごく尺取っちゃった……家なので許してください。

日本青年館ホール

エーステ秋冬、東京公演が行われるところです。
座席表はこちら

今の青年館は3代目で、2017年の夏にリニューアルオープンしました。なので会場はかなり綺麗です。座席の座り心地も良いし、足元もゆったりめの造りで個人的には結構すきです。
キャパは公式ホームページにもあるように1階811席、2階434席で、車いす席を合わせて1,249席。1階は中央通路(J列)以降の傾斜が結構ついてるので良い感じに舞台が見えます。前方でもそんなに前の人の頭とか気になりません。

ところで、わたしも今回この記事を書くために青年館のホームページ見てて初めて気がついたんだけど、VRが公開されてるの!すごい!面白かったので気が向いたら是非見てみてください。


20171204 VR360°日本青年館バーチャルツアー 森平舞台機構


新しい青年館はまだあまり回数入ってないのですが、不思議すぎる話があるのでします。
今年の4月にテニミュの『TEAM Party RIKKAI』という公演が青年館ホールで行われたのですが、まあそれはそれはチケットが取れなくて。テニミュにはTSCテニミュサポーターズクラブ)というファンクラブがあり、そこではチケットの最速先行の他にTSC会員限定で当日引換券やサイドシートの先行販売が行われたりします。立海チムパも例に漏れず、サイドシートのTSC先行販売があったので、ほとんどチケットを持っていなかったわたしはこの際サイドでもいいや!とチケットを取りました。

発券してびっくりしたんですけれど、2階のセンターがサイドシートなんですよ。

いや、センターだよ?ドセンなのに?サイドシート?見間違いかなと思って座席表とチケットを照らし合わせてみたのですが、何度見ても2階の24番とかなんですよね。センターじゃん。

どうやらこのとき、2階席は全部サイドシートに充てられていたらしく。確かに見えにくかったんですよ。もちろんセンターなので舞台の端が見切れるとかではないんだけど、なんていうか……舞台の下が見切れるんです。
言葉で説明するよりも見てもらった方が早いと思うのでここを見てください!カメラのマークをぽちっとすると座席からのステージの見え方が分かるのですが、ステージの下が見えにくいですよね。あとテニミュは客降りする関係も多少はあるのかな。
エーステももしかして2階全部サイドシートだったり……?って思ってたんですけどそんなことはなかったですね。テニミュ以外の2.5の公演でも青年館に入ったことがありますが、そのときは2階の下手ブロックでも指定席だったのでチムパが特殊だったのかな。わからん。あと2階はかなりきつい傾斜なのでちょっとこわいのと、椅子の高さがやたらと高いのが謎。そこまで身長ない女性だとかかと浮いちゃう。

AiiA 2.5 Theater Tokyo

今年いっぱいでついに閉館するらしいアイアシアター。
無くなるから書かなくてもいいかなとは思ったのですが、飽きるほど通ったこともあるので一応書いておきます。

座席表はこちら

キャパは830席。初めて行ったときに「仮設なのかな?」と思ったトイレや劇場の椅子ともすっかりお友達になったようなものですが、アイアに通ってる時期は体の節々が痛かったことを思い出します。なんだあの椅子は。

サイドシートは7列より前の端っこの方かなあ。公演にもよるんだろうけれど、9列2番とかは指定席だったことがある。あと6列38番とかも指定席だった。1列の6番と40番に座ったことがありますが、ここもサイドシートだけどTDCとかに比べたら見やすいです。でもアイアに関しては、できればなるべくセンターで観たいなって思います。椅子のせいで体が痛くなるので……
前方は2列目に申し訳程度の段差があって、4列目以降ちゃんと段差がつきます。けれどそんなに気にすることはなくてどこでも見やすい。建物自体の造りはアレだけど後ろの方でも見やすいんですよ。7列目と8列目の間に中通路があるんですけれど、8列センターとか出たらガッツポーズしちゃうくらいアイアの8列目は最高。

本日12月31日をもって閉館とのことで、もう行く予定はないのですが、造りはアレにしろこのキャパってちょうどいいな~~と思っていたのでアイアが無くなったらますます2.5を上演するのにいい箱が無くなるんですよね。それはちょっと残念なのかもしれない。次は仮設じゃなくてちゃんとした劇場を作ってほしい。


さて、ここまで書いてきてもしかしなくとも終わりが見えなくなってきたので、とりあえず客降りのはなしに戻ります。劇場についてはそのうち追加するかもしれないし、しないかもしれない。

そんなわけでエーステ春夏東京公演、京都公演を経て、京都劇場は2階までしかないのと、1階の客席に中通路があるので若干客降り導線は変わっていたものの、基本的な客降り位置はおおよそ変わっていませんでした。(春組はちゃんと把握できてなかったので変わってたらすみません、、、)
そしたら凱旋も変わらず上手に座っておけばいいかな!いいよね!って単純なわたしは思っちゃったんですよ。


凱旋公演初日。
突如として追加されたMANKAI☆開花宣言にサイコ~~!となっていた傍ら、ふと後ろを振り返ると3階席の下手の方で三好一成さんを発見。思わず二度見した。いやなんで上にいるんですか???

以下、情緒がアレなわたしのツイートを4連続でお届けします。


超正直に言っちゃうと3階とか入りたくないです。遠いんだもん!!!
なので、ぶっちゃけ東京と京都のとき夏組は1階降りで良かったな〜〜!って思ってました。凱旋での曲追加は予想の範疇だったけど、そこで夏組を上に派遣するっていうところまで考えが至らなかったわたしの負けです。それにしても3階て。せめて2階であれ。
そうは言っても仕方ないですし、降り位置も固定だろうなと思ったので3階下手に座らなきゃだよね……とは思いつつ、凱旋の最初の3日間くらいは持ってたチケットが最前とかB列センターとかで、さすがにこれ捨てて3階座るのもちょっとなあって感じだったので、様子見で導線確認しつつ1階でもワンチャンないか探ってました。

結論。1階も通ることは通るけど、3階(特に最下手)の滞在時間が長すぎて3階に座らねばならないという使命感が芽生える。

座席表を見ていただきたいのですが、三好一成さんが長時間滞在するのは3階のA列3番、B列2番とボックス11のあたり。扉10から入ってきて、そのあたりでファンサして、C列の後ろを通って(ちなみにC列の後ろが立ち見席です)12番と13番の間の通路に行って戻る感じ。そんなの、3階A列3番かB列2番かボックス11に入りたいじゃないですか。


というわけで座席を交換していただきました。『求:3階A列3番・B列2番・ボックス11』という条件で探していたので、さすがにピンポイントすぎて見つからないかな?と思ったのですが、結果的にほとんどの公演で座席交換が見つかりました。凄くない!?あと気付いたら12番と13番の通路席も増えてたし立ち見のチケットも持ってた。
もともと自分が持ってたチケットが大体センブロ〜上手の前方だったので、ワガママを言って2幕からの交換にしていただいたりもして。休憩中に交換相手の方とお会いしてお互いのチケットを交換したのですが、そこでびっくりしたことがあって。

3階A列3番もB列2番も、サイドシートだったんです。

え?と思いました。というのも、サイドシートだってあらかじめ言ってくれなかったじゃない!とかそういうことではなくて、ここサイドなの?っていうのが単純に疑問で。だって座席表を見ても、普通に見えそうな位置じゃないですか。わたしも『3階A列3番・B列2番』ってピンポイントで座席交換を探していたので、サイドシートだったら嫌!ってことはまったく無いんですよ。むしろ座らせてくださいって感じなので……
交換していただいたチケットを持ってとりあえず3階に行く。しんどい。休憩挟んで隣の人が変わっている現象、なんか気まずいので2幕開演ギリギリに座席につく。


なるほど見えない。


今までそれなりに「サイドシート」と謳われる座席には座ってきたけれど、これほどのサイドシートには出会ったことがありません。別に端すぎるというわけでもないし全然首も痛くないんですけど、なんと隣にあるボックス席が被って舞台の下手半分はまったく見えないんですよ!!!!そんなことある?なんでここに席作った???
びっくりしすぎて座った瞬間に立とうかと思った。銀劇3階のサイドシートやばい。ふとチケ取りの段階で「銀劇 サイドシート」で検索かけたことを思い出した。銀河劇場の「見える」サイドシートと「見えない」サイドシート。点と点が繋がった感覚がした。というよりこれはもはやテニミュで言ったら完全に見切れ席。


2幕の初っ端、咲也くんと支配人が夏組オーディション前にお話してるシーン。ああ~~!!!!見えねえ~~!!!!何も見えねえ〜〜!!!!下手にいるのであろうふたりの声しか聞こえなくて虚無の極み。このあと約1時間は下手半分がまったく見えないとかいう苦行。座席を交換してくださった皆さん、まず3階とかいう以前に単純にこんな見えない席座りたくなかっただろうな……わたしも客降りがなかったらぜったい座りたくない……誰のための席なんだここは………………わたしか?

座席交換してくださったうちのお一人の方が「今日の一回しか観られないので、前の席と交換していただけて嬉しいです」って仰ってくださったのですが、1幕こんな見えない状態で初見だったなんて、別に何も悪いことしてないはずなのに申し訳なくなっちゃった……だってわたしだってこんなに見えないだなんて知らなかった、、、
エーステ本編を観ていただければ分かるかと思うのですが、三好一成さんの立ち位置って上手が多いんです。なので下手半分が見えなくてもそれなりに見えたことは見えたのですが、例えば天馬くんとの地雷シーンですとか、最後のところとか下手にいるので普通に見えないですよね。最初の方でも言いましたが、舞台を観に来てるのに「見えない」っていうのは死ぬほどストレスなんですよね。いやサイドシートだから見えないのは仕方ないんだけど、半分見えないのしんどすぎてこれは秋冬のおたくたちに伝えなければならないと思ってしまった。

結果的に客降りではっぴ~~~~!!!!になってどうでも良くなっちゃったから懲りずに3階のサイドとか立ち見入りまくりました。念のために言っておくと、3階のサイドどころか指定席に入るよりも立ち見の方が個人的には良いと思います。3階の中央通路席(12番,13番)にも入ったけれど、全席指定でも前にある柵が邪魔で皇天馬くんのお顔が見えなくて、いちばん見たいところそこ!!!!ってもだもだしちゃった……
その分立ち見は立たなきゃいけないけれど、視界を邪魔するものが何もないので見やすいです。立つのが苦痛じゃなければ絶対に立ち見の方がいい。あと単純に近い。


客降りに必死になるのが良いことだとは思っていませんが、エーステのときのわたしのツイート(一部抜粋)人生楽しそうだから見てください。


え?最後のツイート、わたしなのに羨ましすぎて死ぬ…………


今年中にブログ更新しなきゃ!と思って最後ぱぱっと書いちゃったのでまとまりがなくて申し訳ないのですが、秋冬でも間違いなく客降りはあると思うので、秋冬のオンナたちがはっぴ~~な観劇ライフを送れるように祈っております。
でもこれだけは覚えて帰ってください、銀劇3階のサイドシートはやばい。座るか座らないかはあなた次第です。

わたしもはやく月岡紬さんにあいたいし、冬組公演に足繁く通うおたくになりたいなあ。1ヶ月後に劇場で会おうね!

エーステにおける夏組のはなし。

前回の記事に引き続き、これもふせったーに投稿したものに加筆修正を加えたものです。
前楽の直前にぱぱっと書いて上げたものなので、結構直しちゃいました。



『オレら、トモダチだし。』


トラウマを告白した皇天馬くんの前にしゃがむ三好一成さん。その手にずっと持っていたスマホをソファーに置いて、天馬くんの手を取る。

このシーン、わたしはいまだに理解が追いつかないくらいに衝撃を受けました。
というのも、エーステ春夏凱旋公演が始まる前に書いたエトセトラにおいて「舞台でやることの意味のひとつとして挙げられるのが、ゲームの画面では汲み取れなかった部分が可視化されるということ」って言ったんですが、原作のストーリーを読んでいたときに抱いていたわたしのなかでのイメージを、可視化されたことによって遥かに超えてきたシーンのひとつがここです。

せっかくなので、A3!をやっているみなさまにはぜひ克服のSUMMER!第28話「あらためて。」を読み返していただきたいのです。

三好一成さん、音符飛ばしちゃってるでしょ。
だからこのシーンもっとラフな感じだと思うじゃん。

画面のなかから飛び出してきてくれた彼らによってうつしだされた「現実」が、こんなにもぎゅって心臓を掴まれるような、あたたかいものであることがたまらなく嬉しかったし幸せだなって思ったんです。

皇天馬くんの舞台に対するトラウマって、ゲームの画面で見ていたときに受けた印象よりも、それはそれは重いものでした。そして、エーステの初日から千秋楽の今日に至るまでにどんどんそのトラウマは重くなって彼にのしかかっています。
そのこと自体にもわりと衝撃を受けたのですが、相乗効果で他の夏組の子たちの「舞台に対するトラウマを抱えた皇天馬への接し方」がなおさらあたたかいものに感じるんですよね。これってやっぱり、彼らが目の前で生きてくれなきゃきっと一生分からなかったんだろうなあって。


座っている相手の目の前にしゃがみこんで、手を握って。

目は口ほどにものを言う、とはよく言ったものだと思います。単純な行動だけど、実はこの「相手の目の前にしゃがむ」って行為、三好一成さんは夏組全員に対してやっています。相手に目線を合わせるって、すごく安心感があるんですよね。気を許しているというか。

最初は幸ちゃんに。寮の部屋割りを決めるとき、椅子に座る幸ちゃんの前にしゃがみこんで「同室になろうよ」って懇願する。断られちゃうけど。
次は三角くん。三角くんが夏組に加入することが決まってから「夏組ってなに~?」って問うのに対して、座っている三角くんの前にしゃがんで「夏組っていうのは、オレらの組のことだよん」って教えてあげる。
対椋くんは、天馬くんの帰りをみんなが待つシーン。不安そうに俯いて座っている椋くんの前にしゃがんで、大丈夫だよって手を握る。ここのシーンはアドリブなので、たまに幸ちゃんにも同じようにしゃがんで手を握ってあげています。

そして最後に、トラウマを告白した天馬くんに。
実は凱旋公演終盤に入ってからアドリブの進化が止まらず(個人的な所感です)、初代夏組のビデオをみんなで見ているシーンからその後天馬くんが「俺たちはそうならないだろ」というシーンにかけて、三好一成さんが天馬くんの前にしゃがむようにもなりました。というか、ビデオを見てるシーンでは三好一成さんが頑なに座ろうとしない天馬くんのことを(半ば無理やり)座らせて、隣に座っていた椋くんと幸ちゃんを近くに来るように呼んで、みんなでひっつきながら楽しそうにビデオを見てるんですよね。(三角くんは監督とおはなし中なのでここのシーンでは近くにいないです)
合宿での花火のシーンでもそうなんだけど、天馬くんのことを自然と輪のなかに入れてるんです。


さらに、ほんとについ昨日、11月3日の公演でここのシーンに変化がありました。これまではソファーにスマホを"置いて"から天馬くんの前にしゃがんでいたんだけど、昨日はマチソワともスマホをソファーに"投げて"いました。ここ、本当にびっくりした。

皇天馬くんと三好一成さんって、一度お互いにお互いの地雷を踏んでしまっています。結局根本は同じ「トモダチがいない」っていうことなんだけど。

エーステのひとりひとりの独白のシーン、わたしは「身の上ばなし」って呼んでるんですけど(身の上ばなしじゃないひとも数名いるにしても)、三好一成さんの身の上ばなしで、「誰にでもへらへらして薄っぺらいオトモダチつくってる、ってやつ。数は多くても、本音で言い合えるトモダチっていないと思う」って言う彼の手に握られているスマホは、これまで必死に築き上げてきた、だけど"薄っぺらい"と言われてしまったオトモダチの象徴とも言えます。
それを天馬くんの前で、大事なもののはずなのに、まるでいらないもののように放り投げて「オレら、トモダチだし。」って手を握るの、あまりにもふたりの関係性の変化と個人の心境の変化を魅せるのが上手すぎて感服としか言いようがない。

もともと原作だと三好一成さんの身の上ばなし→天馬くんのトラウマ告白シーンの順番なんだけど、エーステでは逆で、天馬くんがトラウマを告白した直後に三好一成さんの身の上ばなしが始まります。
エーステだと監督が概念になってることも関係して、「劇団員と監督」が接することで成長するというよりも「劇団員同士」がお互いに作用しあっての成長を見せているような気がします。


それと、エーステにおける夏組って「目線の位置」が顕著に描かれているのが面白いなあって思っています。
夏組合宿での天馬くんの曲、『絆』って曲名なのがミュージックコレクション発売決定によって判明してしまったわけですが(エモ……)あれって最初は舞台の上から天馬くんがひとりで他のメンバーを見下ろすかたちになっているんですよね。それで物理的にも、心理的にも"上から"天馬くんが他の4人にずけずけ言ってのけちゃう。

だけどいい意味で素直な天馬くんは、咲也くんの「みんなの力をひとつにしなきゃ、きっとあの舞台はつくりあげられなかった」ってことばを受けて、自ら下に降りてきます。そして下に降りてきた(=みんなと同じ目線になった)天馬くんは、みんなのいいところも指摘するようになる。
あの数分で、夏組の位置関係の変化がきれいに描かれていてすごくすきなんです。実際あのシーンの前後で夏組の距離感って全然違うものになっているんですよね。


わたしはもう現実世界では20半ばに差し掛かろうとしているくらいなので、3つ年上のお友だちもいるし、逆に3つ年下のお友だちもいます。20越えたらちょっとの年齢差なんてあまり気にならないですよね。学校とかで出会うわけじゃないなら尚更。
だけど、この時点で皇天馬くんは16歳の高校2年生だし、三好一成さんは19歳の大学2年生です。
学生時代の「3歳差」ってものすごく大きくなかったですか?3歳差ってことは、中学高校の3年間被らないってことだもんね。

夏組はいい意味ですごく対等な関係だなあと思っています。みんなリーダーの天馬くんのことはもちろんリーダーとして立てるんだけど、それだけじゃなくて対等でもあり続ける。
上は19歳、下は14歳。たった5歳差だけど、10代の5歳差って本当に大きいです。この夏組のバランスが保たれているのって(まあ贔屓目がないとは言い切れないんですけど)上が下に合わせてるからなんだろうなって思います。

自分と同世代だけど年下のひとを尊敬して認めるって結構むずかしいなって思うんです。
わたしも親に羽生くんと比べられたりするとムムッてなっちゃいます。そもそもスケートやってるわけでもないのに、羽生結弦とわたしを比較してどうするって話なんですけど。そのくらい「同世代」ってだけで比べられちゃうことって多いんだよね。

三角くんはいい意味で年上らしくはないし、三好一成さんは人に合わせることができるひとなので、上ふたりが自然と下の3人に合わせてバランスが取れているのかな~って感じます。


単純にすっごく気になっているんだけれど、赤澤燈さん、どこまで原作のストーリーを読みこんで役づくりしているんだろう。

三好一成さんって、ふたばちゃんという妹がいるんですけど、ふたばちゃんって皇天馬くんのファンなんですよね。もちろんそれだけじゃなくて、例えばお父さんが広告代理店勤務だったり、多分三好一成さん本人もそれなりにテレビはチェックしているひとだと思うので当然のことかもしれないんだけれど、夏組オーディションにやってきた皇天馬くんが「皇天馬」そのひとだと気づくのが他のメンバーよりも早いです。ほんとうにちょっとの差なんだけど、「皇天馬」に誰よりも早く気付く。

以前、「キャラクター」は「人間」だっていうはなしをしたんですけれど、それにしたってあの三好一成さんはあまりにも「人生」がつくりこまれすぎていてびっくりしちゃう……ひとつひとつの仕草がすごく「人間」だなって感じる。

オーディションのときに天馬くんと幸ちゃんが言い合いはじめるとき、椋くんは止めに入るけれど三好一成さんは顔を引きつらせてその場でスマホを弄り始めるし、稽古のときに言い争いが始まったときだって仲裁に入ろうとしているように見せかけてなんだかんだ幸ちゃんの肩を持とうとする。正直、経験者ひとり、ほか全員素人であるあのシーンにおいて、威圧感たっぷりで怒る天馬くんと、椋くんを庇おうとする幸ちゃんだったら幸ちゃんの肩を持とうとするのは普通のことだと思います。
部屋割りを決めるときだって、興味を持ってもいい対象であるはずの天馬くんにはまったく触れないんです。

多分、最初の方は意図的に天馬くんのことを避けてたんだろうなっていうのはゲームでストーリーを読んでたときから感じていました。原作では三好一成さんの身の上ばなしのシーンで「テンテン鋭いからさ、バレちゃってるんだよ」って言葉もあります。そりゃこわいよね、っていう。

「関係性」が生み出すキャラクターの「人生」の厚みだとか、そもそもいわゆる「中の人」が良いように作用して生まれるものっていうのについても書きたいんだけど、もう前楽始まっちゃうからまた今度書きます。気が向いたら。


今日が千秋楽。今日あったら次はいつあえるかなんてまだわからないし、もしかしたらもうあえないかもしれない。

むずかしいなあ。

泣いても笑っても今日は今日しかないので、いきてる彼らにあいにいこう。
今日もまたみんなが満開に咲けますように!いってきます!

エーステに関するエトセトラ。

これはMANKAI STAGE『A3!』 ~SPRING & SUMMER 2018~東京凱旋公演が始まる前日、10月25日にふせったーに書いたエーステに関するあれこれを少し加筆修正したものです。
お友だちになんでふせったーに書いたの?って聞かれて確かに……ってなったので、こっちでも纏めておきます。



『完璧じゃなくても、最高の芝居はできる、』

監督のことばを受けて、確かめるようにこのことばを口にした皇天馬くんがあまりにもきれいで。
この作品を、舞台という"なまもの"として表現することに、わたしはあまりにもしっくりきてしまって。間違いなく、舞台でやることに意味があるのだと。


6月28日(木)から幕を開けた、MANKAI STAGE『A3!』 ~SPRING & SUMMER 2018~を観劇して、はっぴ~~すぎて気が狂ってしまったのですが、ようやく明日10/26(金)から東京凱旋公演が始まるので明日気が狂ってしんでしまっても良いように(良くはない)エーステに関するエトセトラを残しておきたい!

そもそもわたしは普段若手俳優さんのおたくをしているのですが、本命の推しはエーステには出ていません。そして昔から基本的にあんまり漫画だとかゲームだとかには進んで手を出さない方です。初めて読んだ少年漫画は、大学生になってから突然はまったHUNTER×HUNTERだったりします。

なのに何故だかアプリ配信開始日からいそいそと続けていたA3!が舞台化すると発表があり、これまでにないくらい気合い入れてチケ取りに挑みました。推し出てないのに。
昨今の2.5次元ブームにはわたし自身もいろいろと揉みくちゃにされてきたので、何でもかんでも舞台化するこの流れが好ましく思われていないことも分かっています。数が増えれば増えるほど、淘汰されて今後いいものだけが残っていくとは思っているけれど、いま溢れかえる"2.5次元"というジャンルにおけるクオリティの落差が凄いことも身をもって存じ上げています。実際いわゆる「虚無舞台」ってやつにもいっぱい出会ってきました。

元々このA3!というコンテンツは絶対に舞台化する、というかそもそもこのご時世、ある程度は舞台化を前提としてつくられたコンテンツなんだろうなと感じていたので舞台化自体には全然驚かなかったし、キャスト発表があってからむしろA3!舞台化を誰よりも楽しみにしていたのってわたしじゃない!?ってくらい、3次元のMANKAIカンパニーと出会う日がたのしみでたのしみで仕方なかった!

若手俳優の推しはエーステには出ないけれど、推しが出てしまうとどうしても邪な気持ちと言いますか、やっぱりキャラクター<推しになってしまうところがあるので、そこを踏まえてもエーステのキャストが出たときほっとしたし(そもそも推しがやるようなキャラクターがいるかと言われれば微妙なので全然心配はしていなかったけれど)A3!では夏組箱推しの三好一成さん最推しなのですが、公式メルマガで「三好一成:赤澤燈」の文字列をみたときは仕事終わりの電車の中で思わずガッツポーズしました。公式との解釈一致。


エーステが始まる一週間ほど前、母にエーステの話をしたときに「誰を観に行くの?」って聞かれてびっくりしたことを思い出します。
この「誰を観に行くの?」という質問の答えは、わたしの場合三好一成さんあるいは夏組、または大きく広げるとMANKAIカンパニーにあたるんだろうなと。

先に言ったように、もともと2次元のコンテンツを自分から進んで享受してきたことってあまりないんです。だから推しが2.5次元作品に出る!ってなって、原作の漫画を読んだりはしたしそれで原作にはまった作品もいっぱいあるけど、自分がもともと原作が好きで舞台を観に行くのって全然モチベーションが違う。あとわたしがあまり「舞台化」に抵抗がないのは基本原作のおたくではないからということも大きく関係してると思います。

ここ最近、「誰を観に行くの?」の答えは決まって若手俳優の推しや好きな俳優さんだったので、"キャラクター"を観に行くのって、それこそはじめてテニミュを観に行ったとき以来かもしれなくて。平面の世界でみていたはずのものが、目の前で立体として動き、感じ、生きている。はじめてテニミュをみたときのあのふわふわとした不思議な感覚を、わたしはきっと一生忘れられない。

だからこそ、久々に"キャラクター"を目的として劇場に足を運ぶことが新鮮で、単純にすっごくどきどきして、はやく会いたくて、遠足の前日の小学生のような気持ちで初日を迎えました。


心が震える。
緊張も不安も興奮も全部飲み込んで、胸の中のつぼみがほころぶような気がする。
笑いだしたいくらいわくわくしてくる。

原作のアバンのシーン、咲也くんのモノローグで幕は開けました。
わたしも、あのとき彼とおんなじ気持ちだった。
心臓がぎゅっとなって、どうしようもなく泣きそうになって、たまらなく幸せで。


休憩時間を除いてたった2時間20分という限られた時間で春組と夏組のストーリーをやるなんて一体どこをどうするの……!?とざわざわしていた気持ちもありましたが、それを完全に吹き飛ばしてくれたのが、あの劇中劇です。

A3!はざっくり説明すると主人公(プレイヤー)が劇団の総監督になり、劇団員を集めて公演をやって借金完済を目指すというお話なので、もちろん出てくるキャラクターは「劇団員」になりますし、ストーリー上彼らが「演劇」をやることになります。
要は、エーステにおいて俳優さんたちが演じるのは「劇団員」で、「劇団員」として「演劇」をしなくてはならないのです。普段、役を演じるお仕事をしている人が「役を演じる役」を演じるという少しめずらしくて複雑な多重構造は、一幕終わりの劇中劇、新生春組旗揚げ公演『ロミオとジュリアス』を観終わったときにすとんと胸に落ちました。


ここで突然別作品の話をするのですが、エーステを手掛けているネルケプランニングは「アイドルステージ」というオリジナルの舞台作品シリーズを上演しています。このアイドルステージ、通称「ドルステ」は世界観がかなり特殊なのですが、わたしはエーステを観て、ドルステみたいだなあと感じて。というのも、ドルステもエーステのような多重構造が存在しています。

先に述べたようにこのコンテンツにはアナザーワールドと呼ばれている特殊な世界観があって、それを壊すのはよろしくないことだということは重々承知しているけれど、説明のためにアナザーワールドを一旦離れます。
このアナザーワールドとは「ドルステに登場するアイドルたちが存在する世界」のことです。いわゆるパラレルワールド。掘り下げるとものすごく長くなりそうなのでざっくりとした説明で留めておきますが、ドルステは第1部がお芝居、第2部がライブという二部構成の形を取っていて、1部ではアイドルたちがライブをするに至るまでの舞台裏を描き、2部では実際にライブを行います。ここで登場するアイドルは、当然ながら俳優さんによって「演じられたアイドル」に過ぎません。でもアナザーワールドでは「アイドルを演じる俳優」と「俳優によって演じられたアイドル」はまったくの別人として同じ世界線に存在すると考えます。たぶん実際に体験しないとこの辺の感覚っていまいちわからないんですよね、わたしも文章書いててよくわかりません。(文章力の問題)

わたしがはじめてドルステに触れたのは、2014年11月にネルケプランニング20周年を記念して開催された『ネルフェス2014』でした。そこで観たときはほぼ知識皆無の状態だったので「なんかめっちゃ出演者多いな……」くらいの感想しか抱かなかったんですが(良ければネルフェスの出演者調べてみてください)、そのあといろいろあって2015年1月、『CHaCK-UP ~ねらわれた惑星~』という公演を観に行きました。「ドルステ」というコンテンツをはじめてきちんと享受できたのはこのときです。

この公演、実はある問題を抱えていました。
水星人☆ミミタ役の本田礼生さんが2015年2月から始まるテニミュへの出演が決まっていて、CHaCK-UPの公演に出演できないということです。

現実的に考えれば「本田礼生=ミミタ」だけど、「本田礼生≠ミミタ」と考えるアナザーワールドにおいて、彼が他の仕事のために公演に出られないという理屈は通らないんです。また、ドルステはこの特殊な世界観のために、ミミタ役を他の俳優さんにするなどといったアイドルを演じる役者の代替は基本的にできなくなっています。(後のドルステにおいて、それが可能になったパターンも出てくるのですが……)

CHaCK-UPというアイドルグループは他のドルステのアイドルと比べてもまた少し特殊で、第1部の芝居パートで登場するのは芸能科に所属する高校生たちで、彼らがCHaCK-UPという"宇宙人"のアイドルを演じています。たとえば、俳優・本田礼生さんが演じる高校生・美波旅生が、アイドル・水星人☆ミミタを演じている、という構造になっています。

さて、本田礼生さんが出られないことをこの公演でどう落とし込んだのか。
答えは、芝居パートにおいては「美波はダンス留学で海外に行った」ため、ライブパートにおいては「ミミタはスリープモード(※地球人の睡眠にあたる期間で、水星人のスリープモードは長い)に入った」ためと、それぞれの不在の理由が用意されていました。
この公演を観たとき、単純に、すごいと思いました。こうしてひとつひとつに理由を与えてくれるお話が綺麗で、優しくて。

実はこの公演、脚本・演出を手掛けているのはエーステの脚本と同じ亀田真二郎さんです。
すでにお察しかもしれませんが、このCHaCK-UPにおける「俳優が演じる役がアイドルを演じる」という構造は、「俳優が演じる役が役を演じる」エーステと似通っています。


こういう構造の作品って、最初に「舞台裏」を見せられているんです。
ドルステの場合、最初は「アイドルたちがライブに至るまでの舞台裏」を見せられて、そこでの苦悩や葛藤、仲間と切磋琢磨する姿を知らないうちに享受する。だからライブパートになったとき、彼らから「チャーム」という役割を与えられたわたしたちは自然と彼らを応援してしまう。
エーステだって同じことで、最初「みんなが劇団に入ってきて公演に向けて稽古をする」のを見ていく中で、演技が上達しない人や劇団を辞めようとする人たちの葛藤だったり、仲間と衝突して、いつしかお互いのことをわかりあってひとつにまとまっていく姿を目撃することになる。その上で「公演の本番」を観劇してしまえば、客席に座るわたしたちはこれまで彼らと向き合って支えてきた監督であり、またMANKAIカンパニーの公演に足を運んだ観客足り得るのです。
公式から役を与えられてるんだよ、わたしたち。すごくない?エーステにおいて、わたしたち観客だってただ舞台を観にきた観客には留まらず、この舞台に参加することを許されている。わたしたちだって「監督」や「観客」という役を演じているんです。

エーステで監督の存在が概念になっているのは、もちろんわたしたちこそが監督!っていうのもあるんですけど、何よりもわたしたち観客がよりリアルなものとして彼らの成長を見守れるようにかな、と思います。

そもそもA3!って乙女ゲーム(という表現が正しいのか微妙ですが)なんですよね。個人的に「立花いづみ」という人間が完全に独立したものになっているのと、物心ついたときから夢女極めてるせいで「わたし=監督」の感覚ってほとんどなかったので、エーステを観てはっとしました。


ドルステの公演ページのQ&Aで、アイドルステージの世界観について「大人のごっこ遊び」という表現をしているんですけれど、これがすごくすきなんです。
エーステの千秋楽演出も、賛否両論あるみたいですがわたしからしたらA3!というコンテンツの舞台化に携わる大人の本気のお遊びのようで、どきどきしてたまらない。

わたしはテニミュ生まれテニミュ育ちなので、エーステの前アナ・後アナやカーテンコールの挨拶が「○○役の△△です」ではなく、たとえば「佐久間咲也です!」とか「皇天馬です」といった、あくまでキャラクターとしてのものであることにすごくどきどきします。
テニミュはコンテンツ自体がメジャーなものに近づいていくなかで、キャスト自身のパーソナルな部分も少し前に出しているよね。それはそれでもちろん好きなんだけど、「A3!の舞台化」って誰をメインターゲットにしてるのかなって考えたときに、俳優ファンよりも原作ファンな気がします。


舞台でやることの意味のひとつとして挙げられるのが、ゲームの画面では汲み取れなかった部分が可視化されるということだと思っていて。
皇天馬という天才役者の舞台に対するトラウマは、わたしがゲームで「克服のSUMMER!」という物語に触れたときに感じたものよりも、ずっとずっと重かった。あまりにもひとりの人間として弱くて、脆くて、儚いなあって。

皇天馬くんのことはもともと好きなんですけど、エーステ観てからもっと好きになってしまった。WOWOWで放送したエーステ初日の映像、Watar me!が始まる前の皇天馬くんのアップがこの世のものとは思えないくらいきれいなので皆さん見てください、ぜったいに約束ですよ


さて、最後にわたしの好きなひとの話をちょっとだけします。
突然ですが「キャラクター」ってなんだろう、って考えたとき、わたしは「人間」だと思っています。

かの松田誠さん(知らないひとは調べてください)がその昔に「キャラクターだって漫画の中にたまたま描かれているだけで、ご飯も食べるしトイレにも行くし電車にも乗る。PASMOも落としちゃうかもしれない」って言ってた。意訳なので実際言ってたのとはちょっと違うかもしれないけど、わたしびっくりしてしまって。

たまたま次元が違っただけで彼らも同じ人間なのでは?って考え、結構腑に落ちてしまったというか、わたしたちにとって救いのような、すてきなことだなって思うんです。

あと先日、A3!のプロデューサーの沖田多久磨さんがクリエイター向けのセミナーで「A3!では“キャラクターの人生を見せる”という意識を持っている」ってお話をされていたそうですごく興味深いな~~って思いました。


三好一成という人間が、わたしが生きているこの世界に存在しないことだって、残念ながらわたしは知っています。わかっています。

でも、だから何なんだって話なんですよ。
わかっているけれどわたしは今日も三好一成という存在を信じ続けるし、否、信じるふりをするし、それこそ"キャラクターの生の肯定"だとも思っています。

現実って結構厳しいけれどなるべく楽しく生きたいよね。
わたしは(もともと辞めるつもりだったんだけど)エーステ凱旋全通したすぎて会社辞めちゃった!後悔は全くしてません!ただそろそろ働かないとなって思ってます!

だいすきなひとにはもしかしたら今しか会えないかもしれないので、後悔しないように全力で生きたいですね。わたしは今でも2014年、さいたまスーパーアリーナのステージ上から去っていくだいすきだった人の背中が忘れられないんです。我ながら重くてわらっちゃうな。(興味があったらドリライ2014を見てください)
せっかく相手もわたしも今を生きているなら会わない手はないですよ。ぜったいに。

いよいよ春夏凱旋公演が始まりますね。
明日からもまたみんなが満開に咲けますように!劇場で会おうね!